すくすく連絡帳

メモ代わりの日記です

医師と話して

親類に医師がいてるが
昨日割とじっくりと話す機会があった。


何十年ぶりかに合う親戚とあまり仕事の話をするものではないが、
やはり職業の特性上話題はそっちの方となる。

新型コロナ感染症に関する医療現場のしてのあり方を
一通り聞いた。ただそれは今までどこかしら、なにがしかの
形で見聞きをした内容だった。


話は尊厳死安楽死、延命治療という重たい話になった。
安楽死についてはわが国では認められていないので
医師として意見を求めるのは酷というものだ。


しかし延命治療、緊急時における対応については
やはり考えが「医師」という着眼点に基づいたものだった。


やはりプロは着眼点が違い、考えの深さが素人は全く違う。


彼は非常にわかりやすい例えを用いて具体的に話を始めた。

例えば85歳を超えてもヒマラヤ山脈などに登頂している
人がいる。その人が何からの理由で吐血や下血を起こし、
救急搬送されたとする。開腹手術が必要と判断した結果、
医師はどうするか。

当然処置を直ちに行う。
付き添ってきた配偶者や家族もそれを希望すると恐らく言うだろう。

一方で同じぐらい歳でこれまで何度も体調を崩し、
寿命が近い人が同じ状態で運ばれて来たとする。

医師としては問答無用で「同じ対応を前提とする」という。

但し、家族の付き添いがあり、それを拒否した場合、
積極的な治療を行わないケースはあり得るという。

何か当たり前のことを聞いているようでこれは奥深い。


ここからは僕の考えだ。

救急搬送されてきた「同じ状態の患者」をみて、
特に救急医が「この人のこれまで人生、今の生き方」を考えるだろうか。

まったくそんな素振りも見せないと思う。

レントゲンやCTを取った結果、本当に余命幾ばくも無い末期がんだと検査で
わかったならともかく、吐血、下血の症状で一刻を争う時にその人の人生を
考えている余裕なんてない。

目の前の患者を「とにかく救う」というのが救命医療だからだ。

そうしたら我々「治療を受ける側」はどうしたら良いのか?

「意思を表示するものを形として持っておく」ことしかない。

それには準備が必要だ。

あなたの保険証や運転免許証には臓器提供云々に関する記述があるだろう。
しかし「延命治療」「積極的治療」を望むかなどということはどこにも
書く場所がない。

これにもよく考えれば理由がある。「延命治療」とはどこからか、
「積極的治療」とは何かという線引きや思想が個人によってばらつきがあり、
また法で決められているわけでもないので、
そんなことを〇やら×で表記できるはずがない。

だったら一体どうしたら良いか。
僕が出した今の結論はこうだ。

つい先日僕より4歳年下のくせに親より先に死にさらした馬鹿たれのように
エンディングノート」を持つしかない。

それを家族に公表し、こうして欲しいと意思表示し、
紙で持ってもらうしか妙案が僕には思い浮かばない。

これは遺言書とは違い、法的拘束力を持つものではないが、
自分が意識を失った場合に意思を伝えられる最後の手段である。

僕は未だ40代前半でそんなエンディングノートなるものを
用意するなんざ、「アンタ、明日にでも首吊るつもりちゃうやろな?」と
直球を僕に対しては投げ続ける姉から言われるかもしれないが、
何歳であろうとそれは関係ない。いきなり今日交通事故に遭うかもしれない。
キチガイにいきなり背後から刺されるかもしれない。

確率は低そうで起こり得ない事実ではない。

大阪では今月だけで交通事故は2000件以上起きており、9人が亡くなっている。
死亡したら焼いて埋めるしかないが、その2000件のうち重傷者が何人までは
すぐにはわからない。

もしあなたが不幸にも事故に遭い、緊急搬送された場合、
周りの特に近い家族は狼狽し、冷静な判断もできない可能性が高い。

だから「死ぬ予定なんて全くない」状態であっても想定は必要なのだと
僕は思う。

あなたもこれを最後まで読んで頂いたのなら一度考えてみられては
いかがか。